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アトリエではしばしば上記のように、美術館にかざっていてもおかしくないような作品が生み出されます。机上で描いている時には、子ども達の目線は、自分の描いている部分に集中していますが、講師が作品を持ち上げ壁に飾ると全体が見え目線が変わり、子ども達ははじめてその作品を見たかのように歓声をあげて「すごい!」と感動します。
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私達大人も部分だけを見た時、また目線が変わったとき、そこには、スイッチが入ったかのように全く違う世界の存在を発見することがあります。子どもを見ていても、表面だけを見ていれば暴れん坊でしつけのなっていない子に見えても、ある瞬間にその子のもつ深い優しさにはっとさせられたり、発想力に驚かされたりするのと同じだなあと思います。子どものある一面だけにとらわれていると、その子の本質的なものや、背景にあるのものに、気づけなくなってしまうことがあります。
今回の活動は球をテーマに、初めは、色んな素材の球を転がして遊び、その後、一番初めに転がしたママボールをつかって、講師が描いた木にボールスタンプで桜の花を咲かせ、その後、手に絵具をつけて塗って作品を仕上げました。子ども達は、単純な球にもこれだけの種類があり、これだけの可能性があることを直観しました。

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ある親子コピカでは、卵の絵本を読んだので、卵を想像させる黄色のママボール、ピンポン玉、ゴルフボール、黄色の木球、黄色のスーパーボールと、球であることと白か黄色という条件を統一して、素材と大きさだけを変えてボールを出してゆきました。子ども達はそれぞれに、同じ種類のボールを集めて転がしてみたり、素材の違うボールを同時に転がしてその違いを確かめてみたり、ママボールはあったかい、ゴルフボールはつめたいと気づいたり、色んなことを発見していました。
その集中力は、さながら小さな科学者です。これは観察をとおりこして2才児が研究しているなあと思わされました。球という単純な形態だからこそ、子ども達はこれだけ多くのことを発見できるのだと思います。一目で部分だけでなく全体が見える唯一の形が球です。幼い子ども達がアトリエ活動の中で直観していることは、小さな発見ではなくまだ情報の少ない時期だからこそ気づける物事の本質であるのかもしれません。その姿は、たわむれにボールを転がして遊んでいるだけでなく、ひとつのボールという部分を通して、あらゆるボールの特徴の違いを知り、全体として、統一体としての球を直観する姿でした。
2013.4.(2) アトリエ講師 星野 由香