入園、入学おめでとうございます。特に小学生になった子ども達、初めてランドセルをしょって学校の門をくぐる時、教室の椅子に座った時どんな気持ちでいるんでしょうね。一年生になった子ども達のちょっと緊張した、そして希望に満ち溢れた表情を思い浮かべるだけでも、胸が熱くなってきます。
最近、読んで感銘を受けた本で、ゲド戦記(世界3大ファンタジーのひとつ)の訳者、清水眞砂子さんが子どもの文学について語った「そして、ねずみ女房は星を見た」という作品があります。凡人である私が言葉にできなかった心にうずまいている思想を、すぐれた作家は見事に文章にして表現してくれると感じた作品でした。
文中を借りれば“何にどんなわけがあるのか”を言葉でひもといてくれます。美しい文章とユニークな切り口に心が振るえ、一気によんでしまい、読んでいる間は気づきませんでしたが、読んだ後、これは、世の妻たち、母親たち、いろんな立場にある女たちの応援歌だと気づきました。
色んな物語に出てくる色んな女達の姿を児童文学の紹介を通して書いてあるのですが、その抽出が絶妙で。読者である女性は、それぞれに「これ、私のことだ。」と思う部分があると思います。
私に至っては、少年が家族以外のおじさんとの対話を通して深い絆を築き、成長してゆく物語の紹介の中で「子どもの文学には、よくへんなおじさん(時にへんなおばさん)が登場します。こういうへんなおじさんの存在は、子どもの育ちにとってとても大事なのではないでしょうか。親族や、周りの人からしばしばひんしゅくを買いつつも、ひょうひょうと生き延びている人、非日常の世界を垣間見せてくれる人、世界はいま、ここだけではないのだと、その存在によってちらとでも気づかせてくれる人。」という一文でした。
私の甥っ子からすれば、私は多分、へんなおばさんであり相当、日常とかけ離れている存在にうつっているはずです。その時ふと思いました。アトリエの子ども達にとっての私もそうなのではないだろうか。親や先生や日常で接する大人達とは別の非日常的存在。そんな風に彼らには映っているにではないか、彼らがアトリエに求めているものは、自分のあるがままを受け入れてくれる場所、いつも楽しいことをさせてくれる場所、という事と共に、ここに非日常を求めているのではないかとそう思いました。
たとえ2才児だって、この世が自分の思い通りにはならない事を知っています。幼児も園でただ楽しい毎日をおくっているわけではありません。大人と同じようにややこしい人間関係や理不尽に胸を痛めることもあるのです。小学生になれば、幼児の時の様に常に守られた環境ではなくなりますから、自分で自分の居場所を確立しなければなりません。また、勉強も入ってきますから、悩むことも増えてきます。そんな時、日常から一旦切り離された非日常を感じさせる異空間にいるアトリエの時間は、彼らに“僕の居場所は、今ここだけではないのだ。違う世界もあるのだ。”とちらとでも気づかせてくれる場所なのかも知れません。
是非、アトリエと童具、そして絵本や児童書を子育ての両輪として下さい。それが子どもに与える力が何であるのか、それは、生きる力“想像力・創造力”です。これからの時代は特に、子ども達が喜びに満ちた人生を、逞しく生きてゆく為には、創造力はなんとしても育てなければなりません。まず、心を、考える力を、育てなければ、賢い子にも優しい子にも強い子にもなりません。本年度も子ども達が本来持っている力を信じて、本物が持つ力を信じて、子ども達を見守ってゆきましょう。
2013.4.(1) アトリエ講師 星野 由香
最近、読んで感銘を受けた本で、ゲド戦記(世界3大ファンタジーのひとつ)の訳者、清水眞砂子さんが子どもの文学について語った「そして、ねずみ女房は星を見た」という作品があります。凡人である私が言葉にできなかった心にうずまいている思想を、すぐれた作家は見事に文章にして表現してくれると感じた作品でした。
文中を借りれば“何にどんなわけがあるのか”を言葉でひもといてくれます。美しい文章とユニークな切り口に心が振るえ、一気によんでしまい、読んでいる間は気づきませんでしたが、読んだ後、これは、世の妻たち、母親たち、いろんな立場にある女たちの応援歌だと気づきました。
色んな物語に出てくる色んな女達の姿を児童文学の紹介を通して書いてあるのですが、その抽出が絶妙で。読者である女性は、それぞれに「これ、私のことだ。」と思う部分があると思います。
私に至っては、少年が家族以外のおじさんとの対話を通して深い絆を築き、成長してゆく物語の紹介の中で「子どもの文学には、よくへんなおじさん(時にへんなおばさん)が登場します。こういうへんなおじさんの存在は、子どもの育ちにとってとても大事なのではないでしょうか。親族や、周りの人からしばしばひんしゅくを買いつつも、ひょうひょうと生き延びている人、非日常の世界を垣間見せてくれる人、世界はいま、ここだけではないのだと、その存在によってちらとでも気づかせてくれる人。」という一文でした。
私の甥っ子からすれば、私は多分、へんなおばさんであり相当、日常とかけ離れている存在にうつっているはずです。その時ふと思いました。アトリエの子ども達にとっての私もそうなのではないだろうか。親や先生や日常で接する大人達とは別の非日常的存在。そんな風に彼らには映っているにではないか、彼らがアトリエに求めているものは、自分のあるがままを受け入れてくれる場所、いつも楽しいことをさせてくれる場所、という事と共に、ここに非日常を求めているのではないかとそう思いました。
たとえ2才児だって、この世が自分の思い通りにはならない事を知っています。幼児も園でただ楽しい毎日をおくっているわけではありません。大人と同じようにややこしい人間関係や理不尽に胸を痛めることもあるのです。小学生になれば、幼児の時の様に常に守られた環境ではなくなりますから、自分で自分の居場所を確立しなければなりません。また、勉強も入ってきますから、悩むことも増えてきます。そんな時、日常から一旦切り離された非日常を感じさせる異空間にいるアトリエの時間は、彼らに“僕の居場所は、今ここだけではないのだ。違う世界もあるのだ。”とちらとでも気づかせてくれる場所なのかも知れません。
是非、アトリエと童具、そして絵本や児童書を子育ての両輪として下さい。それが子どもに与える力が何であるのか、それは、生きる力“想像力・創造力”です。これからの時代は特に、子ども達が喜びに満ちた人生を、逞しく生きてゆく為には、創造力はなんとしても育てなければなりません。まず、心を、考える力を、育てなければ、賢い子にも優しい子にも強い子にもなりません。本年度も子ども達が本来持っている力を信じて、本物が持つ力を信じて、子ども達を見守ってゆきましょう。
2013.4.(1) アトリエ講師 星野 由香