先日、20万部のベストセラーとなった絵本「いのちのまつり」を描いた草場一壽さんのトークライブに行ってきました。当日行かれた方は感じたこと思いますが、子どもの幸せ、人間の幸せを願う人は、皆、同じことを言いますね。
講演会の中で
「子ども達は、真っ白で生まれてくると言われています。本当にそうでしょうか?スイカの種を割って見て下さい。中は真っ白です。しかし、土に植えると、やがて芽を出し、双葉になり、つるが伸びて、花が咲き、時がくれば実をつける。そして種となり新しい生命を誕生させる。あの小さな種の中に、大宇宙の法則が内包されています。子どもも同じ。子ども達も素晴らしい感性をどの子も持って生まれてくる。いつか時がくれば、その感性の扉が花開く。それを待たないで変にいじくるから子どもがおかしくなる。」というお話しがありました。
子ども達は、ちゃんと育てるように、脈々と続いた生命のつながりの中で生まれてきています。そしてその種がひまわりの子もいれば、すみれの子もいます。それぞれがたった一つしかない気高い個性を持つ生命です。

和久共育の骨子となるフレードリッヒ・フレーベルも人間の成長を植物にたとえました。“植物の成長のどの段階をとっても、その全てが大切であるように、そして成長には、適切な時期があるように、乳児期には乳児期に、幼児期には幼児期に必要なことがある。それは、遊ぶことである。その時期の子どもにとって、遊びと学びは矛盾することなく存在する。その時期に必要なことを、思う存分させてあげてこそ、根をはる時期を待ってこそ、後の豊かな実りとなるのです”と説いています。そう考えると、「子どもを育てたいように育てるのでなく、私達にできることは、子どもが育とうとする意思にそって、力が思う存分発揮できる環境を用意してあげることだけです。子どもが育ちたいように育ててあげましょう。」という和久先生の言葉もわかりますね。
草場さんや和久先生の言うように、変にいじくらなければ、子どもはちゃんと自分で育ってゆきますから、本当に大丈夫です。環境を整えたら、後は子どもの力を信じて待って下さい。それを待つことができれば、必ず子どもは自分も人も幸せにできる人間に育ちます。完全な大人なんていないように、子どもも大人も、未完成な人間として存在しています。そう考えることができれば、私達大人が子どもに教えることよりも、子どもから教えられることの方がはるかに多いことに気付けます。
自分のやりたいことに自ら向かい、達成までの努力や失敗や苦しみもふくめて、毎日が楽しくて楽しくて仕方ない、子ども達の目がいつも輝いている。そんな子ども時代をすごさせてあげたいと願います。
2013.2.(3)アトリエ講師 星野 由香