和久教育の根幹には、200年前にドイツではじめて幼稚園を創設したフレードリッヒ・フレーベルの思想があります。
例えば、歌ったり踊ったり絵を描いたり庭で植物を育てたり、そういう基本的な園での遊びはフレーベルによって生み出されました。
フレーベルが影響を受けた思想家にジャン・ジャック・ルソーがいます。彼の偉業は“子ども発見”だと言われています。それまで子どもはいませんでした。生物学的にはいますが、“小さい大人”
“大人になるまでの過程的存在”ととらえられ、子どもは大人と同じように労働力の一人として考えられました。ルソーやペスタロッチに影響を受けたフレーベルは“子どもは遊ぶ”ということを発見します。“子どもは遊びにより人生の根幹となる大切なものを学んでいる”“子どもは遊びにより、もともともっている善いもの(神性)がひきだされてゆく”と考え、幼児期の子ども達が、その成長に沿って充実して遊ぶことのできるキンダーガーデンを創設しました。彼の思想により、人々は愛情の対象として子どもを見るようになり、現在に近い家族観がつくられていったと言われています。
多くの乳幼児教育の研究者がeducationの語源はラテン語のエデュカーレ=“ひきだす”にあり、日本語訳の教育=“教え育てる”というのは、本来の意味ではない、とどの先生も必ず強くおっしゃっています。きっとそれが、乳幼児教育の根幹にかかわる重要なことだからなのだと思います。ルソーもペスタロッチもフレーベルも、後のシュタイナーやモンテッソリーもそれぞれ違いはありますが、子どもの側に寄り添う教育、子どもを中心とした教育、という意味では同じです。
子どもの行動には全て意味があります。今その時期を充実させ、その年齢に必要なことをしっかりやり込むことで、また受け入られることで、子どもは自己肯定感を持ち自分らしく生きることができるようになります。逆に成果や結果をいつも求められ、自分らしくあることを受け入れられない状況にある子は、自己肯定感が育ちにくい傾向にあると言われています。
自己肯定感とは、自分を好きになる感情。成果を出さなくても、結果を見せなくても、自分であることそのものが、親から愛されていると実感できた子は、おのずと自分が好きになり、自己肯定感を持ち他者の幸せも願える子へと育ってゆきます。
専門家は、いい先生ほど子どもが理不尽な行動をとる時(極端な我がままや乱暴行為など)なぜその子はそういうことをするのか?この子がこうならざるをえないのはなぜなのかを、徹底的に子どもの心に寄り添い考え続ける。しかしその反対の先生は、あの子は我がままだから、乱暴だから、と決め付けてラベルを貼りそこで停止し、その子について考えるのをやめてしまうと言います。子どもの行動には全て意味があります。その行動には必ずそうなる背景があります。
私はアトリエを開講する時「私は一人ひとりの子ども達に、親以外にもあなたのことを大好きな大人がいるんだよ。お母さんと同じように、どんなあなたであっても、決してあなたを嫌いにならない先生がいるんだよ。」と子ども達にそう信じてもらえる先生になりたいと燃えていました。何ができなくてもそれだけは絶対にしようと決意していました。その為には常に子どもの心に寄り添い、精神誠意子ども達にもお母さん達にも、心を尽くしてゆくこと。今年の夏は教育の原点に戻れる、教育者になりたいと思った本来の動機にたち帰れる出会いに恵まれました。私に大きな学びをくれた研究者、大豆生田啓友先生の記事を配りますので是非読んで下さい。(NHKのすくすく子育てにも時々出ておられるそうです。)
2011.8.(3) アトリエ講師 星野 由香
例えば、歌ったり踊ったり絵を描いたり庭で植物を育てたり、そういう基本的な園での遊びはフレーベルによって生み出されました。
フレーベルが影響を受けた思想家にジャン・ジャック・ルソーがいます。彼の偉業は“子ども発見”だと言われています。それまで子どもはいませんでした。生物学的にはいますが、“小さい大人”
“大人になるまでの過程的存在”ととらえられ、子どもは大人と同じように労働力の一人として考えられました。ルソーやペスタロッチに影響を受けたフレーベルは“子どもは遊ぶ”ということを発見します。“子どもは遊びにより人生の根幹となる大切なものを学んでいる”“子どもは遊びにより、もともともっている善いもの(神性)がひきだされてゆく”と考え、幼児期の子ども達が、その成長に沿って充実して遊ぶことのできるキンダーガーデンを創設しました。彼の思想により、人々は愛情の対象として子どもを見るようになり、現在に近い家族観がつくられていったと言われています。
多くの乳幼児教育の研究者がeducationの語源はラテン語のエデュカーレ=“ひきだす”にあり、日本語訳の教育=“教え育てる”というのは、本来の意味ではない、とどの先生も必ず強くおっしゃっています。きっとそれが、乳幼児教育の根幹にかかわる重要なことだからなのだと思います。ルソーもペスタロッチもフレーベルも、後のシュタイナーやモンテッソリーもそれぞれ違いはありますが、子どもの側に寄り添う教育、子どもを中心とした教育、という意味では同じです。
子どもの行動には全て意味があります。今その時期を充実させ、その年齢に必要なことをしっかりやり込むことで、また受け入られることで、子どもは自己肯定感を持ち自分らしく生きることができるようになります。逆に成果や結果をいつも求められ、自分らしくあることを受け入れられない状況にある子は、自己肯定感が育ちにくい傾向にあると言われています。
自己肯定感とは、自分を好きになる感情。成果を出さなくても、結果を見せなくても、自分であることそのものが、親から愛されていると実感できた子は、おのずと自分が好きになり、自己肯定感を持ち他者の幸せも願える子へと育ってゆきます。
専門家は、いい先生ほど子どもが理不尽な行動をとる時(極端な我がままや乱暴行為など)なぜその子はそういうことをするのか?この子がこうならざるをえないのはなぜなのかを、徹底的に子どもの心に寄り添い考え続ける。しかしその反対の先生は、あの子は我がままだから、乱暴だから、と決め付けてラベルを貼りそこで停止し、その子について考えるのをやめてしまうと言います。子どもの行動には全て意味があります。その行動には必ずそうなる背景があります。
私はアトリエを開講する時「私は一人ひとりの子ども達に、親以外にもあなたのことを大好きな大人がいるんだよ。お母さんと同じように、どんなあなたであっても、決してあなたを嫌いにならない先生がいるんだよ。」と子ども達にそう信じてもらえる先生になりたいと燃えていました。何ができなくてもそれだけは絶対にしようと決意していました。その為には常に子どもの心に寄り添い、精神誠意子ども達にもお母さん達にも、心を尽くしてゆくこと。今年の夏は教育の原点に戻れる、教育者になりたいと思った本来の動機にたち帰れる出会いに恵まれました。私に大きな学びをくれた研究者、大豆生田啓友先生の記事を配りますので是非読んで下さい。(NHKのすくすく子育てにも時々出ておられるそうです。)
2011.8.(3) アトリエ講師 星野 由香