先週は恒例のWM研修会で全国のアトリエ講師が集まり、和久先生のもと勉強してまいりました。
2日目は新商品と改良品の説明会だったのですが、この度は実際に童具をつくっている職人さんと出会い大感激でした。
決して妥協することのない和久先生の要望に応えるのは至難の業で、技術はもちろん、童具の世界はコストを意識していては到底できないんだそうです。どうして和久先生が工房を職人さんごと買ってしまったのか、分かる気がしました(笑)
木の童具は全てこの工房でつくられています。
そして、今回の会議では、「なんとしても日本の文化を支える職人を守らなくてはならない。日本人はもっと職人を誇りに思わなくてはならない」ということを強くおっしゃっていて、そのことを心に留めて、改めて童具に手を触れると、今までとは違ったものにすら感じるほどで、もっと心を込めて子ども達に手渡さなければと思いました。
日本人の指先の感覚は、0コンマ…mmの数字にならない世界まで感じ取れるのだと聞いたことがあります。一度、三菱の高砂工場のお話しを聞いた時も、世界最先端の技術でありながら、その最後の最後は人間の手によって仕上げられるということを知り、感動したことを思い出しました。
そう言えば、以前、アトリエの子ども達も、直方体の積木を両手に持って「あれ?先生、この積木重さが違う?」と言ったことがありました。
私も持ってみると、確かに違います。その答えは使ってきた積木の年数にありました。
アトリエの積木は20年くらい前から徐々に揃えられてきたので、まだ新しい積木と手あかのしみこんだ古い積木があります。子ども達の手は、それを感じ取ったのですね。大人からそんな発見は聞いたことはありません。
そんな微妙な違いを感じ取れる子ども達ですから、同じものであっても、思いがあって、心を込めてつくられているものと、そうでないものとは、あらゆる過程において微妙な変化があり、それは目に見えずとも、触れた時、遊んだ時、本物と偽物を感じ取れるんだろうなあと思いました。
今、何でも安くなり、消費者にとっては嬉しいことであるかもしれないけれど、コストを下げる為には、大切な何かも一緒に削られているかもしれません。それは目に見えない、わずかな差であっても、何年も何年も続いていけば、全く違うものになってしまい、やがて、日本の文化が消えていってしまう…
和久先生が、この時代にありながら、この時代だからこそ、追求することをやめないのは、そんな理由もあるのかなあと思いました。
行き過ぎた合理主義は、いつしか精神を大切にすることを忘れがちになります。このアトリエに来てくださっている皆様は、そのことを感じ取り、子ども達に本物と出会わせたいと思っていらっしゃるからこそ、ここを我が子の教育の場として選んでくださったのだと思います。
是非、これからも、子ども達に心を込めてつくられたものを心を込めて手渡してあげて下さい。
童具の宇宙は、自信を持って、安心して、世界に誇れる日本の文化として、子ども達に手渡すことのできる本物です。そして、子ども達に、妥協のない確かな本物に触れることで、日本人としての感覚・感性を文化として受け継いでいってもらいたいと感じました。
2011.6.(1) アトリエ講師 星野 由香
2日目は新商品と改良品の説明会だったのですが、この度は実際に童具をつくっている職人さんと出会い大感激でした。
決して妥協することのない和久先生の要望に応えるのは至難の業で、技術はもちろん、童具の世界はコストを意識していては到底できないんだそうです。どうして和久先生が工房を職人さんごと買ってしまったのか、分かる気がしました(笑)
木の童具は全てこの工房でつくられています。
そして、今回の会議では、「なんとしても日本の文化を支える職人を守らなくてはならない。日本人はもっと職人を誇りに思わなくてはならない」ということを強くおっしゃっていて、そのことを心に留めて、改めて童具に手を触れると、今までとは違ったものにすら感じるほどで、もっと心を込めて子ども達に手渡さなければと思いました。
日本人の指先の感覚は、0コンマ…mmの数字にならない世界まで感じ取れるのだと聞いたことがあります。一度、三菱の高砂工場のお話しを聞いた時も、世界最先端の技術でありながら、その最後の最後は人間の手によって仕上げられるということを知り、感動したことを思い出しました。
そう言えば、以前、アトリエの子ども達も、直方体の積木を両手に持って「あれ?先生、この積木重さが違う?」と言ったことがありました。
私も持ってみると、確かに違います。その答えは使ってきた積木の年数にありました。
アトリエの積木は20年くらい前から徐々に揃えられてきたので、まだ新しい積木と手あかのしみこんだ古い積木があります。子ども達の手は、それを感じ取ったのですね。大人からそんな発見は聞いたことはありません。
そんな微妙な違いを感じ取れる子ども達ですから、同じものであっても、思いがあって、心を込めてつくられているものと、そうでないものとは、あらゆる過程において微妙な変化があり、それは目に見えずとも、触れた時、遊んだ時、本物と偽物を感じ取れるんだろうなあと思いました。
今、何でも安くなり、消費者にとっては嬉しいことであるかもしれないけれど、コストを下げる為には、大切な何かも一緒に削られているかもしれません。それは目に見えない、わずかな差であっても、何年も何年も続いていけば、全く違うものになってしまい、やがて、日本の文化が消えていってしまう…
和久先生が、この時代にありながら、この時代だからこそ、追求することをやめないのは、そんな理由もあるのかなあと思いました。
行き過ぎた合理主義は、いつしか精神を大切にすることを忘れがちになります。このアトリエに来てくださっている皆様は、そのことを感じ取り、子ども達に本物と出会わせたいと思っていらっしゃるからこそ、ここを我が子の教育の場として選んでくださったのだと思います。
是非、これからも、子ども達に心を込めてつくられたものを心を込めて手渡してあげて下さい。
童具の宇宙は、自信を持って、安心して、世界に誇れる日本の文化として、子ども達に手渡すことのできる本物です。そして、子ども達に、妥協のない確かな本物に触れることで、日本人としての感覚・感性を文化として受け継いでいってもらいたいと感じました。
2011.6.(1) アトリエ講師 星野 由香