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今回も積木のお話になるのですが、先日、和久積木を50箱揃えている園に、積木の講師として年中さん約30名を対象に、1時間半の活動を行ってきました。今年一年、年間をとおしての講師依頼で今回はその一回目。はじめて出会う子ども達との積木遊びは、和久積木の魅力と子ども達の力を目の当たりにできます。
皆でひとつのものをつくっている時も、その後の自由遊びでも子ども達の創造の喜びはとまらずアトリエの子達のように完成度は高くありませんが、手の止まっている子は一人もいませんでした。ひたすら積木を並べて、子ども達の集中力はとどまるところを知りません。

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その中でもひときわ輝く瞳でスカイツリーをつくっていたA君と、その近くで線路をつくり電車を作り始めたB君。二人とも集中しすぎてぶつかってしまい、A君のスカイツリーがこわれてしまいました。 B君が直接、倒したわけじゃないのB君は「ごめん。ごめん。本当にごめん。」と必死であやまっています。自分も一生懸命だったから、A君の気持ちがわかるのでしょうね。A君も、B君のせいじゃないとわかっているんだけれど、あまりのショックで悔しさがおさえきれず、B君を叩こうとして手が上がります。B君はまるで「僕のせいだから、叩いていいよ。」という表情をしています。そんなB君を見て今度は、A君が、ぐっと我慢して手を下げ、でも悔しくてまた手が上がり、また我慢して手を下げを繰り返して涙をこらえてました。そんなA君を見ていたたまれなくなったのでしょう、今度はB君が「僕がなおすから。見てたからわかるから。僕の電車はもうつくらなくていいよ。僕の電車はもういいよ。」と言ったのです。

この言葉にB君がどれ程電車がつくりたかったのかが表れています。誰かの幸せを自分の幸せよりも優先することは、なかなか出来ることではありません。それから二人はほぼ泣きながらスカイツリーを作り直していました。私も泣きそうになり、園の先生も二人の姿に感動していました。二人ともまだ4歳児です。私はこの出来事からわずか4歳の子ども達に人の優しさをまた教えられました。
もしわが子のこんな姿を目の当たりにしたら、胸を打たれない親はいないと思います。何がなくともこんなに優しい子に育ってくれたのならそれでいい、人の気持ちのわかる子に育ってくれたのならそれでいい、こんなに集中して何かの出来る子になったんだからそれでいいと思えます。
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前回の絵画のように、時間いっぱい集中して、腕が痛くて上がらなくなるまで一生懸命がんばっている姿を見れば、最後までやり遂げた子どもを誇りに思うでしょう。この子のこの根性があればどこへいったって生きてゆけると思えます。
いつも外で走りまわって汗びっしょりになって、先頭きって遊んでいる姿を見た時、子どもの元気さ、逞しさに胸をうたれます。何がなくとも、この子には、この逞しさがある、何より元気、それでいい、この子は大丈夫だと思えます。
子どもを見ていれば、そう思える姿は、アトリエでも日常生活にもあり、その輝きを見た時の親の素直な感動、周囲の大人の感動が、子ども達に伝わり、子ども達はさらに輝きを増し、生きる力を自ら育ててゆきます。
これからの子ども達の生きてゆくステージは世界へと広がり、多様化されてゆきます。尾木ママも最近文庫本の出た子育て本の中で、高学歴、高収入の価値観はこれからの時代には通用しない、これからの子育てはそこから脱却が必要というようなことが書いてありました。そういう意味では、アトリエの教育は、普遍であり最先端でもあるのかもしれません。アトリエに通っていらっしゃるお母さんたちは、その感性をもっている方です。これからも、目先の価値観にとらわれず、子ども達の輝きを見失わないように、見守ってゆきましょう。
2014.6.(1) アトリエ講師 星野 由香