今年読んだ本の中で、もっとも感銘をうけたのは、1979年にアメリカで描かれた“銀のばしゃ”です。両親が離婚し、これからの生活の為、お母さんが看護の資格をとる間、12歳のクリスと7歳のジャッキーの二人の姉妹は、父方のおばあちゃんのところへ預けられます。離婚問題が起こってから母と折り合いが悪くなっていたクリスは、誰もかれもが妹のジャッキーをかわいがっているように見え、心を痛めます。
そんな彼女の希望の光はお父さん。お父さんは誰よりも私を愛してくれている。お父さんがもうすぐおばあちゃんの家に私を迎えにきてくれる。クリスはその時に、自分のことを唯一愛してくれている父に今の気持ちを伝え、父と二人で暮らせる日がくることを夢見ます。“きっとお父さんだって私と暮らしたいに違いない。”そのことだけを心の支えになんとかもちこたえてきたのに、父の来訪を心待ちにしていたその日、お父さんは、再婚する新しい家族を連れてやって来たのです。新しい家族の子ども達は、お父さんになついています。そして、父はすぐに新しい家族と立ち去ってしまい、クリスは、自分の気持ちを話すことさえできませんでした。そこまで打ち砕かれた12歳の少女の心がどう救われ、彼女はどう立ち直り、自分の歩く道を見つけだしていったのか、前を向くことができたのか、それは、おばあちゃんの存在と、周囲の大人達、おばあちゃんが大切にしていた銀のばしゃ、そしてやはり家族の絆だったのです。
すぐれた児童文学には、子どもの心に沿い続けるステキな大人達が必ずと言っていいほど登場します。しつけや教訓など抜きにして、素晴らしい大人になろうとせず、子どもにおもねきもせず、ただただ、その子の心に寄り添い続ける。子どもが自分ではどうにもならない壁にぶつかった時、悲しみの淵でもがいている時、こんな風に接することができたらと思える登場人物に必ずめぐりあえるのです。愚かな大人の姿も見事に表現されています。児童文学は子育ての宝庫です。優れた作家の描く児童文学は、子育てHOW TO本や、脳がどうのこうのの本を読むよりも、親という存在がどういうものであるのか、子どもとはどういうものなのかを、生きる力を、人生をしっかり伝えてくれます。
ほるぷ絵本館では、絵本の読み聞かせの大切さ、読書がどれ程大切であるのかを、常に伝えて続けてきました。お母さん達とは、何年にもわたり、絵本のことを語りあってきたので、アトリエのお母さんの絵本に対する知識は、相当なものになっていると思います。子どもだけでなく、お母さんのほうも絵本好きになった方もたくさんいらっしゃいますよね。絵本を見る真贋がいつしか自身にも身についてきている事をお母さん達も自覚するところではないかと思います。これほど絵本をご家庭に揃えている人が集まっている場所は、全国的にみても珍しいのではないかと思います。ピンポイントで絵本に詳しい人が集まっているかもしれません。
アトリエではじめて出会い、その時は、「私が本を読んできていないので、子どもを本好きにさせたくて。」とおっしゃっていた方も、子どもと共にこれだけの絵本を読んできたのですから、十分に読書する人になられています。よくお話させて頂いていることですが、子どもをどんなに絵本好きにさせても、読み聞かせがとまった途端、子どもの読書年齢もとまります。「字が読めるのだから、自分で読んで」は禁句だと思って下さい。その言葉は読書離れのきっかけになります。これ程、絵本の読み聞かせが浸透してきているのに、読書する子が増えてこないのは、その言葉と、それまでの絵本の選び方にも原因があるのだと思います。子ども達の「読んで」には、何年生になってもこたえてあげて下さい。ましてや、幼児期に字を覚えさせて、自分で読ませてはもったいない。字が読める、ということと読解力は全く違うものです。質の高い絵本を年齢に応じて、よく読んでもらってきた子は、物語を耳で聞いて、あたかも目の前でそのことがおこっているかのように、お話を楽しめます。たとえ2歳でもそうとう長いお話を聞くことができます。その力はなんなのか、それは、聞く力と想像力です。(そして日本は小・中・高・大学と一環して、先生の話しを聞くという授業が中心です。)想像力が育っていなければ読書は楽しめません。いくら字を読んだり書いたりする技術を身につけても、想像力が育ってなければ、字は読めても、本は読めません。その想像力を育ててゆくのが絵本です。幼児期に自分で読んでいては、目に見えない言葉の世界を、目に見える世界へと想像することは難しいですよね。物語りに入りこみ想像の世界にはばたいてゆくことは、なかなかできません。ましてや、文字や文章で辛い目にあった子は、むしろ本が嫌いになるのではないかと心配します。
4年生ぐらいで、本を読む人となるのかどうかがわかれてゆくように思えます。でも中学生になって、いきなり読みだしたというお話も卒業生のお母さんから「長かったですけど、待っていてよかったです。」と聞くこともあるので、どうなるかは、子どもそれぞれで、はっきりとはわかりません。
年中さんくらいからは読んであげるのも一苦労で、一冊に30分とられるのもめずらしくなくなってきますよね。でも親も子も、同じ感動に心をふるわせるその時間は、親子の絆も深めてゆきます。是非、お母さん、お父さんも子ども達と共に、読書年齢を重ねて、共に本に親しむ人になって下さい。
アトリエの子ども達は、学校の先生から「どうしたら、こんなお子さんに育つのですか?」と聞かれたというお話もお母さん達からよく聞きます。塾に行っていないからよけいにそう感じられるのだと思います。アトリエの活動もあるけれど、私は、本によるものも大きいと思います。読解力は国語だけの話ではなくて、全てに必要ですものね。逆な意味で「どうしたら、こんな子になるんですか?」の子もアトリエにはいますけど(笑)、私から見たら同じこと。要は、大物ってことですから、大きな心で見守りましょう!環境を整えて、本物に触れて育てば、必ず、これでよかったんだという日が来ますから、たくさんの子ども達がそれを自らの成長する姿をもって証明してきてくれましたから、大丈夫です。覚悟を決めて、子ども達を信じて、あせらず、迷わず、待ち続けましょう。
2013年は、悲しく辛いこともありました。子ども達が今ここにいてくれる、笑ってくれている、それだけで本当は、十分です。このかけがえのない生命が、喜びに満ちた子ども時代を生きてゆけるように、親の育てたいように育てるのではなく、彼らが育ちたい自分に育ってゆけるように、これからも皆で見守ってゆきましょう。
今年も素晴らしい子ども達との時間を与えてくださりありがとうございました。
2014年も子ども達の心に寄り添い続けるアトリエでありたいと思います。よいお年をお過ごし下さい。
2014.12.(3) アトリエ講師 星野 由香
そんな彼女の希望の光はお父さん。お父さんは誰よりも私を愛してくれている。お父さんがもうすぐおばあちゃんの家に私を迎えにきてくれる。クリスはその時に、自分のことを唯一愛してくれている父に今の気持ちを伝え、父と二人で暮らせる日がくることを夢見ます。“きっとお父さんだって私と暮らしたいに違いない。”そのことだけを心の支えになんとかもちこたえてきたのに、父の来訪を心待ちにしていたその日、お父さんは、再婚する新しい家族を連れてやって来たのです。新しい家族の子ども達は、お父さんになついています。そして、父はすぐに新しい家族と立ち去ってしまい、クリスは、自分の気持ちを話すことさえできませんでした。そこまで打ち砕かれた12歳の少女の心がどう救われ、彼女はどう立ち直り、自分の歩く道を見つけだしていったのか、前を向くことができたのか、それは、おばあちゃんの存在と、周囲の大人達、おばあちゃんが大切にしていた銀のばしゃ、そしてやはり家族の絆だったのです。
すぐれた児童文学には、子どもの心に沿い続けるステキな大人達が必ずと言っていいほど登場します。しつけや教訓など抜きにして、素晴らしい大人になろうとせず、子どもにおもねきもせず、ただただ、その子の心に寄り添い続ける。子どもが自分ではどうにもならない壁にぶつかった時、悲しみの淵でもがいている時、こんな風に接することができたらと思える登場人物に必ずめぐりあえるのです。愚かな大人の姿も見事に表現されています。児童文学は子育ての宝庫です。優れた作家の描く児童文学は、子育てHOW TO本や、脳がどうのこうのの本を読むよりも、親という存在がどういうものであるのか、子どもとはどういうものなのかを、生きる力を、人生をしっかり伝えてくれます。
ほるぷ絵本館では、絵本の読み聞かせの大切さ、読書がどれ程大切であるのかを、常に伝えて続けてきました。お母さん達とは、何年にもわたり、絵本のことを語りあってきたので、アトリエのお母さんの絵本に対する知識は、相当なものになっていると思います。子どもだけでなく、お母さんのほうも絵本好きになった方もたくさんいらっしゃいますよね。絵本を見る真贋がいつしか自身にも身についてきている事をお母さん達も自覚するところではないかと思います。これほど絵本をご家庭に揃えている人が集まっている場所は、全国的にみても珍しいのではないかと思います。ピンポイントで絵本に詳しい人が集まっているかもしれません。
アトリエではじめて出会い、その時は、「私が本を読んできていないので、子どもを本好きにさせたくて。」とおっしゃっていた方も、子どもと共にこれだけの絵本を読んできたのですから、十分に読書する人になられています。よくお話させて頂いていることですが、子どもをどんなに絵本好きにさせても、読み聞かせがとまった途端、子どもの読書年齢もとまります。「字が読めるのだから、自分で読んで」は禁句だと思って下さい。その言葉は読書離れのきっかけになります。これ程、絵本の読み聞かせが浸透してきているのに、読書する子が増えてこないのは、その言葉と、それまでの絵本の選び方にも原因があるのだと思います。子ども達の「読んで」には、何年生になってもこたえてあげて下さい。ましてや、幼児期に字を覚えさせて、自分で読ませてはもったいない。字が読める、ということと読解力は全く違うものです。質の高い絵本を年齢に応じて、よく読んでもらってきた子は、物語を耳で聞いて、あたかも目の前でそのことがおこっているかのように、お話を楽しめます。たとえ2歳でもそうとう長いお話を聞くことができます。その力はなんなのか、それは、聞く力と想像力です。(そして日本は小・中・高・大学と一環して、先生の話しを聞くという授業が中心です。)想像力が育っていなければ読書は楽しめません。いくら字を読んだり書いたりする技術を身につけても、想像力が育ってなければ、字は読めても、本は読めません。その想像力を育ててゆくのが絵本です。幼児期に自分で読んでいては、目に見えない言葉の世界を、目に見える世界へと想像することは難しいですよね。物語りに入りこみ想像の世界にはばたいてゆくことは、なかなかできません。ましてや、文字や文章で辛い目にあった子は、むしろ本が嫌いになるのではないかと心配します。
4年生ぐらいで、本を読む人となるのかどうかがわかれてゆくように思えます。でも中学生になって、いきなり読みだしたというお話も卒業生のお母さんから「長かったですけど、待っていてよかったです。」と聞くこともあるので、どうなるかは、子どもそれぞれで、はっきりとはわかりません。
年中さんくらいからは読んであげるのも一苦労で、一冊に30分とられるのもめずらしくなくなってきますよね。でも親も子も、同じ感動に心をふるわせるその時間は、親子の絆も深めてゆきます。是非、お母さん、お父さんも子ども達と共に、読書年齢を重ねて、共に本に親しむ人になって下さい。
アトリエの子ども達は、学校の先生から「どうしたら、こんなお子さんに育つのですか?」と聞かれたというお話もお母さん達からよく聞きます。塾に行っていないからよけいにそう感じられるのだと思います。アトリエの活動もあるけれど、私は、本によるものも大きいと思います。読解力は国語だけの話ではなくて、全てに必要ですものね。逆な意味で「どうしたら、こんな子になるんですか?」の子もアトリエにはいますけど(笑)、私から見たら同じこと。要は、大物ってことですから、大きな心で見守りましょう!環境を整えて、本物に触れて育てば、必ず、これでよかったんだという日が来ますから、たくさんの子ども達がそれを自らの成長する姿をもって証明してきてくれましたから、大丈夫です。覚悟を決めて、子ども達を信じて、あせらず、迷わず、待ち続けましょう。
2013年は、悲しく辛いこともありました。子ども達が今ここにいてくれる、笑ってくれている、それだけで本当は、十分です。このかけがえのない生命が、喜びに満ちた子ども時代を生きてゆけるように、親の育てたいように育てるのではなく、彼らが育ちたい自分に育ってゆけるように、これからも皆で見守ってゆきましょう。
今年も素晴らしい子ども達との時間を与えてくださりありがとうございました。
2014年も子ども達の心に寄り添い続けるアトリエでありたいと思います。よいお年をお過ごし下さい。
2014.12.(3) アトリエ講師 星野 由香