先週のピカソクラスは、6年生が最後のお料理ということもあり、クラスごとに前週に自由にレシピを決めて好きなものをつくりました。
火曜日は“お子様ランチ”、水曜日は“手打ちうどんとたこ焼き”、木曜日は“巻き寿司とパフェ”、金曜日は“バジルトマトソースの手打ちパスタとみたらし団子”、土曜日(1)“手作りソースのピザとぎょうざスィーツ”(2)“クレープ巻き放題”(3)“カップケーキとクッキー”(4)“手打ちうどんと親子丼”と全クラス違うレシピで行なうのは、ものすごく大変なんですが、畑先生が買い物も手順も準備も全て1人で行い大奮闘、さすが若さのパワー、子ども達の要望に出来る限り応えてあげられるカリキュラムをくんでくれました。子ども達も大満足だったのではないかと思います。

6年生は、アトリエカウントダウン。今回を含め後4回。時を惜しむようにテンションMAXでアトリエ時間を楽しんでいる姿に胸があつくなります。木曜日のRちゃんは「考えてみたら、私の人生で一番幸せだったのは、アトリエだなあ」としみじみ言っていました。卒業を前にそう思ってくれている子は他にもいるんだろうと思います。3年生のときは、自分からどんどん動かないと取り残されてしまうピカソクラスのあり方に戸惑っていた子ども達も、5,6年生になると、自分が楽しむだけでなく、3,4年生の面倒がみれるくらいに成長している子もいます。色んなタイプがいますが、どの子も“6年生になったなあ”と思わされます。12月くらいからは、私がおいていかれてしまっているように感じるくらい、6年生がピカソクラスをひっぱってくれているのを感じました。

小学2年生くらいからでしょうか、子ども達も、アトリエが特別な場所であると感じていますから、同じクラスの連帯感も強くなり、学校で嫌なことがあってもアトリエの仲間とあうこと、この空間、時間をすごすことでリセットできる子もいます。アトリエが好きなだけでなく、アトリエの友達も慈しんでいて、それを含めてのアトリエだから、用事がある時に振り替えをするのもとても嫌がるようになってきます。それは、よくある「○○ちゃんがいないといやあ」じゃないので「○○ちゃんがいないと嫌なの?じゃあ○○ちゃんがやめたらあなたもやめるの?」って言わないであげて下さいね。私も子ども達の気持ちに気付かないときはそう思っていました。
でも、ピカソクラスの子を見ていると、アトリエでこの仲間ができた、この特別な空間で同じ時間をすごしてきた、学校の友達とも近所の友達とも違う、何か大切なものがここにあると子ども達が感じていると思うようになりました。私の子ども時代には、この子達が小さい時に体験してきた程の絵本はなかったし、童具もなく、アトリエもありません。だから、そんな風に育ってきた子ども達が本当はどんな気持ちでいるのかわからないけれど、それはきっと、キラキラした、ワクワクした、うらやましいくらいに、ドキドキするくらいに、私の子ども時代には、経験したことがないような輝きなのだろうと思います。それは、彼らが歩んできた日々であり、彼らが自身がつかみとってきた世界です。卒業をおしんで、自分の姿を下の子達に焼き付けるように見せている姿、ピカソクラスたるものは、こういうものなのだとアトリエのあり方を伝えている姿に、私達はその環境を与えただけで、この子達自身がアトリエをつくってきたんだ、自分で答えを見つけたんだと、私は今年初めてそんな考えをもちました。この場所をつくってくれたのは子ども達、そう思いました。

先週、カニをつくっていた時の1年生同志の会話。細かい作業で粘土をつけていたので「あんまり細かすぎると後でしんどくなるよ。でもYは最後までやるから大丈夫やな。」と言うと、Yくんが「当たり前や。絶対最後までする。」と答え、向いに座ってたHくんが「途中であきらめたらあかん。あきらめたらそこで終わりや。」「そうや。あきらめたら終わりや。」と二人が話していて、その瞬間に友情が芽生えたような感じがしました。いつからこの子達はそう思うようになったんだろう、いつ、どの時点でそんな哲学をつかみとっていたんだろうと思いました。それをつかみとったのなら、それだけで人生、生きてゆけますよね。

子どもは自分で答えを見つけたい、そして必ず自分で答えを見つける、その力が子どもにはある。これからもその力を信じて、残り1ヶ月、6年生を見守ってゆきたい、また、私自身が彼らとの時を過ごしたいと思いました。私以上にアトリエを大切に思い、ここで知り合った仲間を大切に思い、私のことも大切に思ってくれた子ども達に最後の恩返しが出来ればと思います。

2015.2.(2) アトリエ講師 星野 由香