先日、6月30日、第7回目となる子育てパネルトークで、自己肯定感を育てる言葉かけをテーマに、ディスカッションをしました。ちょうど15年~10年くらい前までは、今で言う非認知能力や地頭のように、どこへ行っても、何を読んでも、“セルフエスティーム(自尊感情)を育てることが大事である”と言われている時代がありましたが、今は、自己肯定感や自尊感情は否定的な意味でも使われることがあります。以前のアトリエ通信でも書いたことがあると思うのですが、ベストセラーとなったアドラー心理学の「嫌われる勇気」でも自己肯定感は否定的な意味で書かれていました。
私の解釈ですが、今、否定されている自己肯定感や自尊感情は、何かが人よりできるから、人より可愛いから、自分は人気ものだから、など、なにかの条件があって得た条件付き自尊感情の場合です。その場合、自分でそう思っているだけで実はそうでもないこともあり、自惚れや自信過剰になってしまうことがあるとされているようです。また、自分以上に出来る人、かわいい人、などが出てくると、途端にその自尊感情は崩れ去ってしまいます。
子育てパネルトークでは、悪いところも良いところも含めて“自分が好き”と思える無条件の自己受容という意味で自己肯定感・自尊感情を定義してお話ししました。

その無条件の自己受容の気持ちは、どうやって育ってゆくのかをアトリエの活動と関係づけて考てみました。例えば、前回の絵画では、数々の名作が誕生し、特に幼児の野菜・果物の絵と小学生の椅子の絵は“本当にこの子が描いたの?”と思うくらいに驚かされました。なぜ、これほどまでの絵を子ども達が描くことができるのか?それは、ひとつは、集中して描いているからです。集中した時の子ども達は、熟練の職人さんや、芸術家や研究者のそれと何ら変わることなく、自分の世界を創り出すことに没頭します。私たちアトリエスタッフの仕事は、“子ども達がのめり込む環境を、どれだけ作り出すことができるか”にかかっているのかもしれません。どうして、普段、集中力のない子もアトリエの絵画では集中するのかと言うと、好きなように描いていいからです。大人に手出し口出しされないから、認められているから、と言ってもいいかもしれません。
管理されている子ども達は、親や先生に怒られないように、認めてもらえるようにばかりに気をとられ、自分は何がしたいのか、何を表現したいのかがわからなくなっています。やりたいことよりも、やるべき事の比重が多くなると子どもは生命力を失ってゆきます。まだほんの幼い時から親の思いを叶えることが生きる目的になってゆく、そんな中では自己肯定感は育ちようがありません。
『好きなように描けるから楽しい→楽しいから集中する→集中すると自分でも思いもよらなかった世界が表現される→そこに何かを発見し、また新しい世界を創りだす。』 満足するまで描き切った子どもは評価を求めません。筆をおいて、静かに手を洗いに行く子どもの表情は、昇華した喜びにあふれています。その時、確かに自己肯定感が育っていることを思います。(※発散と昇華は違います。)

どうしたら自己肯定感が育つのか?すでに研究されていることかもしれませんが、好きなことを見つけられた人、好きなことを仕事にできた人には、自己肯定感の高い人が多いのかもしれません。

アトリエの絵画で、子ども達が集中するもうひとつの理由は、本物の環境を整えているからです。
表現は自由ですが、モチーフを用意して、イーゼルをたてて、木炭でデッサンし、プロも使う絵の具で着色します。ここまで整えるのは、子ども達にそれだけの力があることを、私たちは知っているからです。 そして子ども達も、アトリエが自分達の力をなめていない場所であることをよく知っているのです。子どもだからこんなもんでいいだろう・・と適当な環境しか用意されていなかければ、それに応じた感性になってしまいます。

そしてもう一つ大事なことは、自らそこへ向かっていったかどうかです。やりたくてやっているのか、やりたくないのに無理やりやらされているのかは100と0の違いです。先日、読んだ本に “成功したから幸せになる、のではなく、幸せだから成功するのだ”とエビデンス付きで書かれていました。たとえ成功しなくても、幸せならいいじゃないかと思います。ラッセルもパスカルもヘッセも人間の唯一の義務は幸せになることである、と言っています。

これから、子ども達が最も輝く夏の到来です。是非、大人になって思い返した時、楽しくて楽しくて仕方のなかったと言える子ども時代を思いっきりおくらせてあげて下さいね。

2019年7月②アトリエ講師 星野由香