新年あけましておめでとうございます。2020年、節目の年のスタートですね。皆さん、楽しいお正月を過ごされましたでしょうか?今年も、子ども達の喜びに満ちた顔をたくさん見れます様、精進してまいりたいと思います。スタッフ一同、よろしくお願い致します。
昨年は寝てもさめても“集中力”について考え続けた1年でした。自分はどう生きたいのかを人は考え続けます。昨年引退したイチロー選手は引退会見の中で「後悔などあろうはずもない。」という名言を残しました。多くのコメンテーターが、そう言い切れる生き方に憧れ、羨ましく思うと言っていました。血のにじむような努力をしてきた生き方であるのに、多くの人がそう思うのはそこに“人間がこうありたい”と求める本質があるからなのだと思います。
そこまで人生をかけることのできる何かを見つけられた生き方、たとえいばらの道であっても好きなものをみつけ、それを追及する生き方を人は幸せだと感じるのではないかと思いました。その為には、子ども時代に好きなことを無我夢中になってやり込んだ体験、集中して何かをやり遂げた体験が必要です。
アトリエの子ども達を見ていても、とことん集中してやり遂げた後の表情は喜びに満ち溢れています。逆に、集中できなかった時は、子ども自身が嫌な気持ちになってしまっていますよね。そういう時の子どもは、その場を取り繕うように、わざとはしゃいだり、無理してカラ笑いしたりしています。集中した時のほうが、適当にやった時よりも断然楽しい。脳がその時の快感を知っているから、集中した体験の多い子の脳は、物事にむかった時、自然とそうなるように脳が検索をするのだと思います。アトリエに優秀な子や好きなことを見つけられた子が多い一番の理由はそこになるんじゃないかと、、、ずっと考え続けてきた答えがようやく見つかったのではないかと思っています。(ほぼ確信しています。)だから、子どもの好きなこと、興味をもったことを軽く考えずにとことんやらせてあげることは、その子の生き方に対する姿勢を決めるとことでもあるのかもしれません。
集中する為には、好きなこと、興味があることでないとダメなんです。やらされたのか、自分からそこへむかったのかでは、喜びが違ってきます。やらされたのではなく、教えられたのではなく“自分で”試行錯誤の末に発見したことであるからこそ、子どもを大きく成長させるのです。
子どもの集中の仕方は、そこに全人生をかけているのかと思うくらいの集中ですから、アトリエの1時間半で別人になったって感じるくらい変化することがあります。絵画が始まる前の「私、絵は下手やから嫌い」から、終了後には「私、絵は大好き、得意やから」の豹変に返す言葉がないほど呆気にとられた(笑)のは一度や二度じゃありません。この1時間半の間に子どもの心に何が起きているのでしょうね。もちろん、それまでの積み重ねた時間と体験があるからのことなのですが。そういう変化、成長の仕方ができるのは、子ども時代だけなのかもしれません。我々大人は自分の起こした現象でさえも素直に自分に吸収してあげることができなくなっています。きっとこれまでの自分への評価や固定概念が邪魔をするのでしょうね。
だからこそ、子ども時代にいかに我を忘れる程に無我夢中になって物事にむかえる時間をもてたかは、彼らの人生に大きな意味を持たせることになるのだと思います。教育の場にそういう時間がなくなってゆく今、是非、無理にでもそういう時間をつくってあげて下さい。また、好きなことをやろうとしている子ども達に引き換え条件をださないであげてくださいね。例えば、勉強したらやらせてあげる、とかお手伝いしたらやっていいとか。それはまた別のことであり引き換えにすることではありません。子どもの“好き”に失礼であるし、その価値も下がってしまいます。そうなると集中するチャンスを失ってしまいます。
和久先生の言葉か、誰の言葉なのかわからないのですが、ノートに書き写していた言葉があります。
“幼児期は邪心がなく愛されているという気持ちを一心に感じとれる。愛と自由が満ち足りているこの時期、この時期に一生分の愛をたくわえている”
皆さんのお子さんは一生分の愛をたくわえているでしょうか。
全ての子ども達が毎日、毎日を楽しいと思えるような子ども時代をかけぬけさせてあげたいと願います。子ども達と関わってゆける自分の人生に感謝し、今年も子ども達と共に成長させて頂ければと思っております。本年もどうぞよろしくお願い致します。
2020年1月①アトリエ講師 星野由香
昨年は寝てもさめても“集中力”について考え続けた1年でした。自分はどう生きたいのかを人は考え続けます。昨年引退したイチロー選手は引退会見の中で「後悔などあろうはずもない。」という名言を残しました。多くのコメンテーターが、そう言い切れる生き方に憧れ、羨ましく思うと言っていました。血のにじむような努力をしてきた生き方であるのに、多くの人がそう思うのはそこに“人間がこうありたい”と求める本質があるからなのだと思います。
そこまで人生をかけることのできる何かを見つけられた生き方、たとえいばらの道であっても好きなものをみつけ、それを追及する生き方を人は幸せだと感じるのではないかと思いました。その為には、子ども時代に好きなことを無我夢中になってやり込んだ体験、集中して何かをやり遂げた体験が必要です。
アトリエの子ども達を見ていても、とことん集中してやり遂げた後の表情は喜びに満ち溢れています。逆に、集中できなかった時は、子ども自身が嫌な気持ちになってしまっていますよね。そういう時の子どもは、その場を取り繕うように、わざとはしゃいだり、無理してカラ笑いしたりしています。集中した時のほうが、適当にやった時よりも断然楽しい。脳がその時の快感を知っているから、集中した体験の多い子の脳は、物事にむかった時、自然とそうなるように脳が検索をするのだと思います。アトリエに優秀な子や好きなことを見つけられた子が多い一番の理由はそこになるんじゃないかと、、、ずっと考え続けてきた答えがようやく見つかったのではないかと思っています。(ほぼ確信しています。)だから、子どもの好きなこと、興味をもったことを軽く考えずにとことんやらせてあげることは、その子の生き方に対する姿勢を決めるとことでもあるのかもしれません。
集中する為には、好きなこと、興味があることでないとダメなんです。やらされたのか、自分からそこへむかったのかでは、喜びが違ってきます。やらされたのではなく、教えられたのではなく“自分で”試行錯誤の末に発見したことであるからこそ、子どもを大きく成長させるのです。
子どもの集中の仕方は、そこに全人生をかけているのかと思うくらいの集中ですから、アトリエの1時間半で別人になったって感じるくらい変化することがあります。絵画が始まる前の「私、絵は下手やから嫌い」から、終了後には「私、絵は大好き、得意やから」の豹変に返す言葉がないほど呆気にとられた(笑)のは一度や二度じゃありません。この1時間半の間に子どもの心に何が起きているのでしょうね。もちろん、それまでの積み重ねた時間と体験があるからのことなのですが。そういう変化、成長の仕方ができるのは、子ども時代だけなのかもしれません。我々大人は自分の起こした現象でさえも素直に自分に吸収してあげることができなくなっています。きっとこれまでの自分への評価や固定概念が邪魔をするのでしょうね。
だからこそ、子ども時代にいかに我を忘れる程に無我夢中になって物事にむかえる時間をもてたかは、彼らの人生に大きな意味を持たせることになるのだと思います。教育の場にそういう時間がなくなってゆく今、是非、無理にでもそういう時間をつくってあげて下さい。また、好きなことをやろうとしている子ども達に引き換え条件をださないであげてくださいね。例えば、勉強したらやらせてあげる、とかお手伝いしたらやっていいとか。それはまた別のことであり引き換えにすることではありません。子どもの“好き”に失礼であるし、その価値も下がってしまいます。そうなると集中するチャンスを失ってしまいます。
和久先生の言葉か、誰の言葉なのかわからないのですが、ノートに書き写していた言葉があります。
“幼児期は邪心がなく愛されているという気持ちを一心に感じとれる。愛と自由が満ち足りているこの時期、この時期に一生分の愛をたくわえている”
皆さんのお子さんは一生分の愛をたくわえているでしょうか。
全ての子ども達が毎日、毎日を楽しいと思えるような子ども時代をかけぬけさせてあげたいと願います。子ども達と関わってゆける自分の人生に感謝し、今年も子ども達と共に成長させて頂ければと思っております。本年もどうぞよろしくお願い致します。
2020年1月①アトリエ講師 星野由香